東京都葛飾区の五方山熊野神社(ごほうざんくまのじんじゃ)の紹介です。五方山熊野神社は有名な陰陽師である安倍晴明公が勧請した神社で、関東で唯一の安倍晴明公ゆかりの神社です。また、令和3年は安倍晴明公の御生誕からちょうど1100年の年です。
御由緒
今回私が参拝した五方山熊野神社は、葛飾区では最古の神社とされ、さらに、平安時代中期に安倍晴明公によって熊野大神が勧請されたという、関東では唯一の安倍晴明公ゆかりの神社となっています。
平安時代に活躍した陰陽師、安倍晴明公の名前は神社好きの方じゃなくても、映画や漫画などで耳にしたことはあるかなと思います。
安倍晴明公は、当時の最先端の呪術や天文道、占い等の陰陽道について並外れた知識をもっていて、平安時代の天皇や貴族に信頼されていました。
また、現代の安倍晴明公のヒロイックなイメージは、安倍晴明は狐と人間のハーフ説、鬼や妖怪の百鬼夜行が見えたり、第65代天皇だった花山上皇の出家修行の際に現れた天狗の妨害を阻止したり、さらには雨ごいを成功させたという伝承から生み出されたものでしょう。
安倍晴明公は聖地を求める旅の途中で、ここ葛飾地域の東側に立ち寄りました。
五方山熊野神社の鎮座するこの地域は、中川という大きな川の中州にありますが、かつては水害がたびたび起こっていたそうです。
そこで、安倍晴明公は陰陽五行説に基づいて、結界を張りめぐらせて守ったことから、五方山熊野神社と呼ばれるようになりました。
五方山熊野神社公式HPより引用
境内を上からみた写真ですが、神社を取り囲む道路や建物の並びが正五角形となっていますね。
このように、一辺が約55mの正五角形を形作り、結界としています。
こういう事は、うかつに開発なんかして形を崩さないほうがいいんでしょうね。
崩した途端に水害が起こるとか、そういうこともありえますもんね。
御祭神
御祭神は、主祭神の伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と、相殿神の速玉男大神(はやたまおのおおかみ)と事解雄大神(ことさかおのおおかみ)
伊邪那岐大神は伊邪那美大神と夫婦となり、天照大御神をはじめとする多くの神々が生まれました。
そのため、縁結びや家内安全の神とされていますね。
速玉男大神と事解雄大神も伊邪那岐大神の御子で、厄除けや病気の平癒の御神徳を持っています。
参拝記録
アクセス
五方山熊野神社には、京成線の青砥駅から出発しました。
出口はいくつかありますが、こちらは改札を出て右側の出口です。
出口正面には地図があったので、確認してから進みましょう。
私も相変わらず方向音痴なので、こういう地図があると助かりますね。
改札を出てからしばらくまっすぐ進みます。
保育園まで着いたら、左折ですね。
あとはひたすらまっすぐ進みます。
青砥駅から徒歩で約10分、朱色の鳥居が見えてきました!
鳥居
朱くてきれいな鳥居で、柱の根元は正五角形の形になっていました。
しかし、実はこちらの鳥居は表参道側の鳥居ではなかったようです。
こちらが表参道側の鳥居ですね。
見たところ、比較的新しいもののようでしたが、平成27年(2015年)に建てられたものとのこと。
表参道側の鳥居は、ひとつ手前の十字路を右折、直進して信号のある十字路まで来たらそこを左折すると、社殿正面、表参道側の鳥居に到着できます。
鳥居をくぐって参道の先には、神門があります。
こちらは、創建1000年を記念して、平成19年(2007年)に建てられました。
参道
こちらが手水舎になります。
柄杓がある!コロナ禍で撤去されているところがほとんどですが、久しぶりに設置したままの神社がありました。嬉しいですねぇ。
お隣には願掛け撫で牛がありました。
境内には摂社として天神社も鎮座しています。
拝殿
こちらが五方山熊野神社の拝殿です。
拝殿は木造で、大正10年(1921年)に造営され、その後昭和36年(1961年)に改築造営されています。
神門の幕にもデザインされていましたが、賽銭箱には正五角形に囲まれた八咫烏がデザインされた御神紋が飾られています。
熊野神社といえば、熊野の神の使いとされる八咫烏ですね。
八咫烏は3本足の大きな烏で、神武天皇を大和(奈良県)まで導いたエピソードがあり、日本の神話においては重要な存在です。
さらに、安倍晴明公の陰陽五行説による正五角形の結界で囲むという、五方山熊野神社ならではの御神紋となっています。
夫婦杉
続いて、境内の御神木の紹介です。
五方山熊野神社の御神木は樹齢370年以上の大きな楠の木で、社殿をはさんで1対になっていることから夫婦楠となっています。
社殿向かって右側の楠の木には大樹の気を受け取るための、手かざしスポットがあります。
私も、まだ時間も早くて誰も来なかったので、数分ほど手をかざしながら深呼吸して、リラックスさせていただきました。
摂末社
境内には富士塚があり、頂上には浅間社が鎮座しています。
頂上の浅間社は、お社や祠ではなく石版となっていました。
菅原道真公を祀る天神社は、昭和61年(1986年)に、同じく葛飾区内に鎮座する亀戸天神社から勧請されました。
また、内部には安永5年(1776年)に奉納された菅原道真公の木彫像が泰安されています。
さらに稲荷社(倉稲魂神)、水神社(水波買神)、香取社(経津主神)の石祠も鎮座していました。
御神木のすぐ隣にさらにもう1社、稲荷社が鎮座しています。
五重塔
境内には銅造のものでは高さが日本一の五重塔があります。
江戸時代の宝永年中(1700年頃)に三井家から住友家が採掘を進めていた別子銅山(愛媛県)へ発注して鋳造されたものといわれていて、明治時代には京都に移されていたという歴史をもつ五重塔です。
こちらの五重塔は祖霊舎としての意味をもち、東京都の神社庁長を務めた先々代の宮司さんをはじめ、陰陽祖霊信徒講の皆さんの祖霊の御霊が祀られています。
ただ、五重塔は神道というよりも仏教的なイメージが強いですよね?
なぜ神社の境内なのに五重塔かというと、現在は分離されていますが、もともとは日本は神道と仏教が混ざった文化だったので、各地の神社にもこのような従来の文化が残っていても特別おかしいことではないそうです。
ただ、こちらの五重塔の建立は平成21年(2009年)とのことなので、ごく最近に新たに神仏習合の様式とするのはレアかもしれませんね。
御朱印
こちらは安倍晴明公の御生誕1100年を記念した御朱印です。
参拝日の部分が「辛丑歳」となっていますが、これはどういう意味なのか調べてみました。
辛丑は「かのとうし」と読み、2021年の干支がこの組み合わせなのだそうです。
なじみの深い十二支とは別に、十干(じっかん)という、陰陽五行の思想があり、干支は本来はこの2つの組み合わせで示されるものです。
そして、干支というのは、その年がどういう年になるのかを占うものでもあるので、辛丑の2021年は大きな事件で混乱が起きたり物事が終わったりする年だそうです。
…う~ん、そうですね…去年から今年にかけて世界中で大混乱ですもんね…。
ポジティブに考えれば、来年は心機一転、切り替えていい年になるかもしれないですね!無理やりにでもそう思いたい…。
こちらは書置きでいただいた11月の月替わり御朱印です。
11月といえば七五三、私が参拝した日も小さい子を連れたファミリーが数組参拝していました。
所在地等
所在地 東京都葛飾区立石8-44-31
アクセス他
- 京成電鉄「青砥駅」から徒歩10分
- 駐車場有
- 電話番号 03-3693-5623