今回は東京都渋谷区の金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)の紹介です!金王八幡宮は、渋谷の地名の由来となった澁谷氏によって勧請された神社です。また、金王八幡宮の名称のもととなった武将、澁谷金王丸についても紹介していきます。
御由緒
金王八幡宮は、寛治6年(1092年)、河崎基家氏がこの地に八幡宮を勧請したことが始まりです。
基家氏の子、重家氏の代になると、宮中の賊を退治した活躍を認められ、堀河天皇より澁谷の姓を賜り、八幡宮を中心に館を構え、居城としました。
なお、澁谷氏がこの地域を治めたことが、現在の渋谷という地名の由来となっているそうです。
かつて金王八幡宮は、シンプルに八幡宮、もしくは澁谷八幡宮と称していましたが、次に紹介する澁谷金王丸の名声によって、金王八幡宮と称されるようになりました。
澁谷金王丸について
金王八幡宮の名前の由来ともなっている澁谷金王丸(しぶやこんのうまる)の伝説について紹介していきます!
澁谷金王丸は御由緒にもあった、澁谷重家の子です。
重家には子がなく、夫婦で八幡宮に祈願を重ねたところ、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る夢を見たそうです。
その後、妻が妊娠し、生まれた子には金剛夜叉明王から2文字いただいて、金王丸と名付けました。
金王丸は17歳の時、源義朝に従い、保元の乱(1156年)で大きな手柄を立て、その名を轟かせました。
なお、源義朝は源頼朝、源義経の父です。
金王丸は平治物語、近松戯曲、源平盛衰記、吾妻経、平家物語などに登場するとのことで、かなり強力な武将だったのではないでしょうか?
平治の乱(1159年)では源義朝は敗れ、謀反により最後を遂げましたが、金王丸は京に上り、この暴挙を報じたのちに渋谷で剃髪し、土佐坊昌俊として義朝の霊を弔ったそうです。
義朝が亡くなった後も金王丸と源氏との繋がりは深く、源頼朝は平家追討の祈願をこちらの八幡宮で行い、挙兵しました。
…ですが、頼朝は後ほど金王丸へ無茶振りをします。
有名な壇ノ浦の戦いの後、頼朝は義経に謀反の疑いをかけ、義経を討つように金王丸に命じました。
自分が仕えていた人の子同士が争っていて、さらには片方を討つなんて、相当嫌ですよね…。
うーん、熱海の伊豆山神社の記事を書いてるときと今の記事書いてるときの、個人的な頼朝に対する感情の差が激しいw
金王丸はこの命令を断ることもできず、文治元年(1185年)、ごく少数、100騎ばかりの兵を率いて義経の館に討ち入り、立派な最期を遂げたそうです。
御祭神
なかなかインパクト強めな金王丸ですが、御祭神ではないです。
金王八幡宮の御祭神は、八幡様こと応神天皇、品陀和気命(ほんだわけのみこと)です。
八幡様は、もともとは武人の神ですが、現在では健康や交通安全など、生活に密着したオールマイティな神様として親しまれています。
参拝記録
アクセス
金王八幡宮は渋谷駅C1出口(旧番号16C出口)が最寄りとなります。
ちなみに旧番号というのは、実は2019年11月に渋谷駅の出口番号が一新されていて、それ以前の出口番号となっています。
今後も変更があったり、工事で出口が使えなかったりってこともあるかもしれませんが、駅構内の地図を参考にして、渋谷警察署を目標にしてくださいね。
それにしても渋谷駅はホント複雑…、ドラ〇エだったら中盤のダンジョンぐらいのレベルはありますよねw
金王八幡宮には、警察署と首都高の間の道をまっすぐ進んで、渋谷二丁目の信号を右折すると到着です。
渋谷駅からは徒歩で10分ほどです。
鳥居
渋谷二丁目の信号を右折してから進むと、金王八幡宮の鳥居に到着!
鳥居の間に一般道が通っているタイプですね。
鳥居から100mぐらい進むと、金王八幡宮の神門が見えてきました。
神門
金王八幡宮の神門は通称、赤門と呼ばれていて、渋谷区の指定有形文化財となっています。
建立の年代は、書物に残っていた明和6年(1769年)という説と、門の額裏面に刻まれていた享和元年(1802年)という説の2通りがあります。
このうち享和元年には、金150両の寄進があって建物の修理を広範囲で行った記録があるので、神門に関してもこれよりも新しい時代に作られたものではないと考えられているようです。
神門をくぐって左側には手水舎がありました。
後ろには摂末社の御嶽社が鎮座していますが、先に本殿にお参りします。
社殿
金王八幡宮の社殿は神門の正面にあるこちら!
神門とお揃いの赤いものですね。
こちらの社殿は、徳川二代将軍の秀忠公の時代、慶長17年(1612年)に、徳川家光公の乳母である春日局と、家光公の守役、青山忠俊によって造営されたものです。
三代将軍が竹千代(後の家光)ではなく弟の国松(後の忠長)になるというウワサがささやかれていました。
そこで春日局と青山忠俊は信仰していた金王八幡神社に熱心に祈願し、その後、竹千代が跡取りに正式に決まったことから、感謝をこめて材木や多額の金銭を寄贈し、現在の社殿が造営されました。
赤い下地に極彩色の彫刻、塗装で彩られて美しいですね!
ちなみに、社殿も渋谷区指定有形文化財になっています。
ちょっと変わっているのが、左右に掘られた獏と虎です。
獏は世の中の安寧、虎は正しい政治への祈りの心が込められているそうです。
右側の獏、参拝中に色だけ見て、龍かなーと思ってたんですが、よく見たら鼻が長いし、これは獏ですね。
金王桜
社殿のすぐ横に、金王桜と呼ばれる桜の木があります。
こちらは、長州緋桜という種類で、雄しべが花弁化して一重と八重が入り混じって咲く珍しい桜です。
珍しい種類というだけでなく、こちらはなんと、源頼朝が、金王丸の名を後世に残すように厳命し、鎌倉の館にあった桜をこの地に移植したものなのだそうですよ。
義経を討つように金王丸に無茶振りしといてなんだかなぁ…とは思いますが、父である義朝にも仕えた信頼する人物という気持ちは確かだったんですね。
金王八幡宮公式HPより引用
桜の時期にはこのように見事に咲き誇るようです。
公式HPの「今日の金王桜」というコーナーで紹介されていました。
ちなみに参拝したのは昨年12月、記事書いてる今は3月末、なので本当は桜が見ごろなんですよねぇ…。
今また参拝すれば見れるんだよな~。
でも、今はコロナウイルスの影響で不要不急の外出は自粛するように政府から言われている状況です。
残念ですが、感染リスクとって花見はできませんよね…。
金王丸御影堂
次は、金王丸が祀られている御影堂(みえいどう)へ向かっていきます。
金王丸御影堂は、神門近くの御神木横の細道を進んでいきます。
そしてこちらが金王丸御影堂ですね。
木造の小さめのお堂ですが、金の装飾や文字によって重厚で強そうな印象を受けました。
こちらの御影堂には、出陣の折に金王丸が自分の姿を彫刻して母に残した木像が納められているそうです。
境内摂末社
こちらは手水舎の後ろに鎮座する御嶽神社です。
御祭神は、
- 櫛眞知命(くしまちのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 少名毘古那命(すくなひこなのみこと)
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)
の4柱です。
日本武尊といえば武道の神なので、この地が武門の誉れ高い澁谷氏とかかわりが深いことから、こちらに鎮座していると考えられています。
御嶽神社の横、こちらは玉造稲荷神社です。
御祭神はお稲荷様こと、宇賀御魂命(うがのみたまのかみこと)です。
渋谷地域も明治頃までは稲作が盛んで、食物・農耕の神のお稲荷様が信仰されていて、現在でもその信仰は受け継がれています。
豊榮稲荷神社
金王八幡宮には裏鳥居があるんですが、こちらから出てすぐの豊榮稲荷神社も併せて紹介します。
こちらの稲荷神社は、金王八幡宮を勧請した河崎基家氏の曾孫、高重によって鎌倉時代頃に祀られたと伝えられています。
もともとは現在の渋谷駅の近くに鎮座していて、堀ノ内稲荷、田中稲荷、川端稲荷と呼ばれていました。
その後、昭和27年に道玄坂にあった豊澤稲荷神社を合祀し、さらに東京都の区画整理事業にともなって昭和36年に現在地に移り、豊榮稲荷神社という名称となりました。
御朱印
金王八幡宮の社務所では、金王八幡宮と豊榮稲荷神社の御朱印がいただけます。
所在地等
所在地 東京都渋谷区渋谷3-5-12
アクセス他
- 各線「渋谷駅」C1出口から徒歩10分
- 電話番号 03-3407-1811