ゴールデンウィークに帰省しながら、千葉県芝山町の芝山仁王尊・観音教寺(しばやまにおうそんかんのんきょうじ)へ参拝してきました!注目ポイントはその呼称のもととなった仁王像のほか、境内に併設されたはにわ博物館です。この地域ではいくつかの古墳があり、そこで出土したものが丁重に展示されています。
御由緒
芝山仁王尊は奈良時代の末期、天応元年(781年)、光仁天皇の命令により、征東大使の藤原継縄公が、十一面観世音大菩薩を安置したことから始まりました。
平安時代には、天台宗の振興に尽力した慈覚大師円仁(えんにん)がこの地に訪れた際にはお堂の修繕に力を入れ、近隣に多くの子院を置いたと伝えられています。
さらに中世のころには下総(千葉県北部の旧地名)の豪族であった千葉氏の祈願所として栄えましたが、天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めの折に小田原に味方した千葉氏が滅亡し、衰退してしまいます。
江戸時代になると徳川幕府の庇護により十万石の格式を有し、再び繁栄していき、現在に至ります。
宗派
- 宗派 天台宗
- 山号 天応山
芝山仁王尊とハニワ
芝山仁王尊には、他の寺院にはあまり見られない珍しい施設として、はにわ博物館があります!
芝山仁王尊のあるこの芝山地区には、芝山古墳群と呼ばれている史跡がありました。
芝山仁王尊は、昭和30年、早稲田大学考古学研究室の滝口宏教授と協力し、芝山古墳群のうち殿塚・姫塚とよばれる古墳の発掘を開始したところ、数年後には、配列された45体のハニワの他、類をみない多くのハニワが出土しました。
滝口教授は、「遺物は発掘された地にとどめるもの」との考えていて、その御意向により芝山仁王尊の敷地内に昭和32年、はにわ博物館を設立する運びとなったそうです。
滝口教授のこの考えがなければ、これらのハニワは別の場所、例えば都心の方の大きな博物館に展示されていたのかもしれないですね。
うーん、滝口教授、ハニワ心がわかってるなぁ!
さらに平成8年になるとお釈迦様の生涯を絵画で示した釈尊館と合わせ、本堂と隣接する形で博物館を新設しました。
参拝記録
私の実家は千葉県某所にあり、芝山仁王尊の存在は以前から知っていたものの、数年前まで寺社巡りはしていなかったのでこれまで行ったことはありませんでした。
ですが今回はゴールデンウィークの帰省がてら観光を~ということでこちらの芝山仁王尊を参拝してみました!
芝山仁王尊は、大きな駐車場のほか、車約20台分の駐車場(第二駐車場?)も備えていて、私達はそちら側に到着しました。
何度かブログ内でも公言していますが、私はペーパーゴールド免許所有者なので、もちろん運転は家族任せですw
鐘楼堂
第二駐車場に到着するとまず目に入るのがこちらの鐘楼堂です!
鐘楼そのものは歴史を感じるものでしたが、お堂そのものはわりと新しい印象です。
ちなみにこの鐘楼、実際に撞くことができるようでしたので、せっかくなので私も撞いてみました。
注意事項として強打は禁止だったので、弱打で…。
鐘撞きで思い出したんですが、小さい頃、近所のお寺で除夜の鐘を撞いたころ、毎年毎年全力で撞いていたんですが、ホントはあまりよろしくない作法だったのかもしれないですね。
鐘は心を鎮めて撞くもんだ…たぶんw
さてでは、本堂へ向かっていきます。
第二駐車場からは少し坂をくだるルートを通ると、大きな第一駐車場からのルートと合流できます。
ちなみに本堂に向かうにはもうひとつルートがあって…
第二駐車場からすぐ脇の道を進むと本堂にすぐ到着できますが、そうすると立派な仁王門を見ることができません。
しかし、こっちのルートは坂や階段のない平坦なルートなので、足の悪い方にはこちらのルートがオススメです。
もしくは猛烈に忙しい人のための芝山仁王尊参拝って感じですかねw
護摩堂・大黒堂
坂をくだり第一駐車場からのルートと合流したところで、護摩堂と大黒堂の2つのお堂があります
お堂を手前には手水舎があり、吐水口はカッコいい龍でした。
こちらは護摩堂です。
もともとは客を接待するための客殿でしたが、改修を重ね、現在は護摩堂として機能しているそうです。
護摩堂の手前にあるこちらが大黒堂です。
大黒道の窓が開いていて中の大黒様の像を見ることができました。
むしろ、お堂の造りが寺務所っぽかったので誰か居るかと近づいたら大黒様だったのでちょっとびっくりしましたw
仁王門
階段をのぼり、こちらの立派な仁王門をくぐって本堂へ向かいます!
こちらの仁王門は明治15年(1882年)に完成したもので、一般的な仁王門とはちょっと特徴が異なるものです。
一般的な仁王門では、その門をくぐるときに内部の仁王像を見ることができますが、こちらの仁王門では内部に畳が敷かれ、須弥壇(しゅみだん、本尊を安置する場所)にお祀りされています。
芝山仁王尊では、仁王様は観音様の化身と考え、本堂の仏様と同じように祀られるようになったと言い伝えがあります。
このような格式高い仁王様の祀り方が、芝山仁王尊というよく知られた呼び名の由来となったんでしょう!
実際、失礼な話、芝山仁王尊という呼び名は知っていたんですが、観音教寺という本来の寺院名は参拝するまで知らなかったんですよね…。
しかもなんと参拝した日は特別参詣期間として仁王像のすぐ近くまで近づいて参拝できる期間でした!
門の内部は、畳が敷かれ、仁王像が御本尊の仏様と同じような形で祀らえていました。
内部の写真撮影は厳禁だったので、写真は残せませんでしたが…。
仁王門でまず目についたのはこちらの大きなワラジ!
ワラジは仁王様が履いているものとされ、健康や足腰の病気治癒のシンボルです。
仁王門をくぐった際、天井に千社札も大量に貼られていて歴史を感じます。
彫刻も美しい…。
ちなみに仁王門を背にしての景色はこんな感じです。仁王尊の敷地を少し離れると山林、田園風景が広がっていますね。
本堂
仁王門を抜け、階段をあがると真正面に本堂が見えてきました!
本堂の手前には再び手水舎がありました。
ここにも手水舎があると、第二駐車場から訪れた方もお清めができて有り難いですね。
こちらが本堂になります!
本堂は享保6年(1721年)、時代でいうと江戸時代の中期に建立されたものです。
もともとは手前の香炉のあたりにあったものですが、参拝者の混雑を避けるために、昭和54年(1979年)に、現在の場所に曳き上げられました。
本堂の内部は写真撮影不可です。
本堂から境内を見回した風景はこうなっています。
芝山はにわ博物館
本堂からつながっているこちらの建物は、はにわ博物館です。
内部は寺務所兼受付があり、一般200円、小中学生・シルバー(65歳以上)は100円で入館ができます。
1階が、近隣の古墳から出土した数多くのハニワが展示された博物館となっていて、さらに2階は、お釈迦様の生涯を表した絵画が展示された釈尊館となっています。
私達も入館し内部を鑑賞してみましたが、大きさ、形が様々なハニワの数々、これらが出土した古墳の参考資料など、興味深い展示がたくさんありました!
私、まったく詳しくはないんですが、こういった考古学的なものって大好きなんですよね♫
テレビで古代遺跡の発掘調査モノとか放送していると思わず観ちゃいますし、ミステリー情報雑誌のムーで古代遺跡系の特集が組まれていると気になってしょうがないですw
博物館の外には、さすがにレプリカかなーとは思うんですが、ハニワが展示されていました。
ハニワのさらに横には、下にあった護摩殿にかつて使われていた鬼瓦と、窪田空穂(くぼたうつぼ)という歌人の歌碑があります。
三重塔
本堂を除き、特に目を引くのはこちらの三重塔です!
大きくて立派ですねぇ…。
高さは約25m、屋根を大きく見せる工夫がされた造りだそうです。
こちらの三重塔は、寛政9年(1797年)の建立計画開始から、文化11年(1814年)まで約40年をかけて完成したものとのこと。
昭和31年(1956年)には千葉県の有形文化財に指定されたそうですよ。
山王社周辺
三重塔の隣には、山王社をはじめ、いくつかの神社が鎮座しています。
お寺と神社は現在では別のものですが、かつては神仏習合といって、神様と仏様を併せて祀っている時代がありました。
いまは神仏分離が主流ですが、当時のまま併せて祀っている寺社もあるんですね。
こちらが山王社の祠です。
山王社の御祭神は山王権現といい、山王権現は天台宗の大本山である比叡山の地主神なので、こちらでも併せて祀っているようです。
こちらは芝山天神の祠です。
この天神社はもともと、芝山仁王尊の参道下あたりに鎮座していたものを、昭和57年に移してきたものとのこと。
不動堂周辺
手水舎の後方にもいくつかのお堂、祠がありました。
こちらは不動堂で、奉納されている不動明王は岐阜のほうからこちらに移されたものとのことです。
こちらは黒龍大王神の祠です。
かつて見世物小屋の蛇が死んだ時、その興行を行っていた見世物師に、その大蛇をこの地に安置するように龍神様から夢のお告げがあったそうです。
黒龍大王神という名前はこれまで聞いたことがなかったんですが、観音様の使いである大蛇の神のことのようです。
こちらは芝山稲荷とよばれる稲荷社です。
もともとは三重塔と並んで建てられていましたが、本堂の曳き上げと同時期にこちらに移動されました。
御朱印
こちらが芝山仁王尊の御朱印です!
本堂と隣接した寺務所兼博物館受付で、300円でいただきました。
所在地・アクセス
所在地 千葉県山武郡芝山町芝山298
アクセス
- 芝山鉄道線「芝山千代田駅」から芝山ふれあいバス利用
- JR総武本線「松尾駅」より芝山ふれあいバス利用
- 圏央道「松尾・横芝インター」より車で5分
- 駐車場あり(大型駐車場・無料)