浦賀・横須賀周辺の神社、ラストは走水神社(はしりみずじんじゃ)に参拝しました!走水神社は日本武尊とその御后の弟橘媛命に縁のある神社です。この御二人の伝承は、感動的で涙がでそう…。また、境内には針の碑や包丁塚などの石碑があり、毎年それぞれ式典が催される等、地域の人々にも親しまれている神社のようです。
御由緒
走水神社の創建は、御祭神でもある古代の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)と深いつながりがあります。
景行天皇(十二代天皇、日本武尊の父)の即位40年、東国の騒動を鎮めるために日本武尊にその鎮静化を命じました。
日本武尊の一行は、伊勢神宮で戦勝祈願をし、静岡の焼津、神奈川の厚木、鎌倉、逗子、葉山を進み、ここ走水に到着しました。
走水では、軍船等の準備をして上総(千葉県中部の旧国名)に出発する際、日本武尊たちをとても慕っていた村人に、自分の冠を与えました。
村人は、この冠を石の櫃に納め、土中に埋めてその上にお社を建て、このお社が走水神社の始まりと云われています。
あ、埋めちゃうの…?!と思ったんですが、この方法で祀るのが古代の正式な慣習なんでしょうねw
なお、走水という地名ですが、こちらも日本武尊と、御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)のエピソードからついたと云われています。
日本武尊は、上総国へ軍船で一気に渡ろうとしましたが、嵐によって海は荒れ狂い、軍船は転覆するかのような危機的状況に!
その時、付き添っていた弟橘媛命が、海神の怒りをしずめるため、その身を海中に投じられました。
うう…弟橘媛命、献身的というか、自己犠牲の精神が強すぎる…!
そうすると、嵐はおさまり海は凪いで、日本武尊一行の軍船は、水の上を走るように進むことができたそうです。
なお、このエピソードから、水の上を走る→走水となったそうですよ。
日本武尊はこの後も進軍し、東国の騒動を鎮め、大和に帰る途中、群馬と長野の県境である碓氷峠(うすいとうげ)から走水の海の輝きを望み、その身を投じて武運を開いてくれた弟橘媛命を偲び、「ああ、吾が妻よ」と嘆き呼びかけたといわれています。
この悲しいエピソードは、昨年参拝した群馬の熊野神社とつながっていますね。
碓氷峠の熊野神社の境内には、日本武尊が嘆き呼びかけたと云われる場所もありましたね。
さらに走水神社は、橘神社という、弟橘媛命を祀る神社も合祀しています。
橘神社は、上記の弟橘媛命のエピソードの数日後、海岸に櫛が流れ着き、村人たちはその櫛を御所が崎にお社を建て、その櫛を納めたのが始まりです。
なお、御所が崎というのは走水の近隣にある岬の地名で、日本武尊の御所(身分の高い人物の居所)があったためその地名がつけられました。
明治18年(1885)年には御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、さらに、明治42年(1909)年に走水神社に合祀されました。
軍用地になるため元々の鎮座地から移されることはあまり良いことではないと思いますが…、橘神社に関しては日本武尊を祀る走水神社に合祀されることになったので、結果オーライかな~と思いました。
御祭神
走水神社の御祭神は、創建の由来ともなった、日本武尊と、その御后の弟橘媛命です。
参拝記録
アクセス
アクセスなんですが、先に参拝した鴨居八幡神社から徒歩で走水神社まで来ちゃいましたw
バスの時間がずいぶん先で、待ってるよりも歩いちゃったほうが早いと思っちゃったんですよね…。
むしろ、後述しますが走水神社は社務所が午後3時までと、わりと早い時間で閉まってしまうので間に合わない可能性もあったんですよ。
せっかく三浦半島のフリーきっぷ買ったのに、もとを取れてない気がする…。
そんなこと考えつつ、観音崎公園や横須賀美術館を通過し、ひたすら歩いて約40分で到着!
いや~健脚健脚w
ちなみに普通に来るとしたら、京急線の馬堀海岸駅からバス利用が定番ですよ。
鳥居
バス通りから奥に進んだところに走水神社の鳥居がありました。
夕方近くなってだんだん日が落ちつつあるので色味がよくわかりませんでしたが、少し青っぽい色合いの鳥居ですね。
鳥居をくぐった先の、境内の様子です。
正面の階段をのぼった先には社殿が見えていますね。
手水舎
走水神社の手水舎周辺ですが、いろいろと置いてあって情報量が多いです…!
こちらの手水舎は、深さ30mから湧き出ている真水なのだそうです。
言い伝えによると、富士山から長い年月をかけてこの周囲一帯に湧き出ているとされています。
この湧き水は、持ち帰ることも可能のようです。
ただ、注意事項が書いてありましたが、本来はお清めのための水なので、生活水として持ち帰ることや、2リットルペットボトル2本までといった制限が設けられていました。
ええ…、ここ来た時におっちゃんがポリタンクにガンガン水入れてたけど、ダメだったんだねアレ…。
こちらのお砂は、もともと橘神社があった御所が崎の東海岸から小舟で運んできたもので、欲しい方は、社務所で砂袋がいただけるのでそれで少量持ち帰ることができるみたいです。
社殿前の階段
階段の周辺にもいくつか石碑があったので、階段登りながら見ていきましょう。
こちらは針の碑で、針と衣類に感謝しようという趣旨の石碑です。
3月には折れてしまった針を弔う、針供養という行事が催されているようです。
こちらは舵の碑で、浦賀の海の安定を願いその身を犠牲にした弟橘媛命を称賛し、海の平和と安全を願ったものです。
階段の左側には御神木。
包丁塚というのもありました。
包丁と、食べ物に感謝しようという趣旨で、神奈川県調理師協会が建立したもののようです。
こちらも針の碑と同じように、5月5日に供養祭が行われています。
では、階段を登って社殿へ!
社殿
走水神社の社殿は、何年に建てられたものかは情報がありませんでしたが、木造の落ち着いた造りでした。
彫刻も美しいですねぇ…!
拝殿から鳥居、海側を見てみました。
夕暮れが近づいて、境内は樹木の関係で日陰となっていましたが、海側はまだ日に照らされてなかなかに良い景色でした!
今回の浦賀・横須賀で参拝した神社、どこも鳥居からの眺めが良かったですねぇ。
摂末社
社殿の右側の摂末社にも参拝しますね。
こちらは摂末社じゃなくて…ロシア製の機械水雷です…!
境内に唐突に水雷があるとちょっと驚きますよねw
横須賀の鎮守府(旧日本海軍の司令機関)の司令長官から寄贈されたもので、日露戦争の戦利品かなーと思います。
水雷の横には稲荷神社が鎮座していました。
こちらは走水神社の旧別宮です。新別宮は、社殿の左側にありました。
別宮では、弟橘媛命に殉じた侍女を祀っているそうです。
別宮のさらに奥には、水神社が鎮座しています。
走水は地域柄、特に水と縁が深いので、昔から水を祀っています。
また、水神としての河童伝説もあって、遭難した人を助けたり、漁業の手引をし大漁をもたらした伝承もあります。
社殿の左にまわって、こちらが新別宮ですね。
平成25年に建立したものとのことで、まだ新しいものなんですが、潮風の関係もあるんでしょうか?もう少し年季が入ったもののように見えました。
新別宮からさらに進むと、弟橘媛命の記念碑があるようです。
ただ、今回は夕方であたりが薄暗くなってしまったので、断念…。
浦賀や横須賀方面、気に入ってしまってまた来たいと思ったので、次回チャレンジします!
社務所
走水神社の社務所はこちらです。社殿正面階段の手前右側にあります。
ここで要注意なんですが、走水神社の社務所は午後3時で閉まってしまいます!
多くの神社が午後4~5時頃までは社務所が開いていることが多いんですが、走水神社は3時なので、参拝の予定を組み込むときは気をつけましょう。
私も4時ころまでは開いてるだろうと余裕こいてたんですが、一緒に参拝した友人が3時までだという情報を知っていたので助かりましたw
思わずいただいたんですが、こちらはカッパのおみくじ(300円)
流し目の表情がなんともいえないw
走水神社の絵馬は、弟橘媛命をイメージしたイラスト入りのものでした。
御朱印
こちらが走水神社の御朱印です!社務所で300円でいただきました。
ワンポイントの左上の勾玉マークがオシャレですね。
所在地等
所在地 神奈川県横須賀市走水2-12-5
アクセス他
- 京急線「馬堀海岸駅」から京急バス(観音崎行)で「走水神社」バス停下車
- 社務所 9時~15時 一般的な神社より早めなので要注意
- 駐車場あり(台数少なめ・道路が狭く大型車は不可)
- 電話番号 046-844-4122