神奈川県にだけ唯一、代表的な護國神社がないことは御存じでしょうか?この現状を変えるために立ちあがった有志による神奈川國護國神社の創建活動により、ついに鎌倉市内にお社を建立、英霊ための護國神社が完成しました!私もこの活動に参加していたので、建立の途中経過も含めて紹介します。
歴史・経緯
戦争で生命をかけて戦った英霊を奉る神社として東京都には靖国神社、その他の道府県には1社以上の護國神社があります。
しかし、神奈川県には県を代表する護国神社がありません。
厳密にいうと、神奈川県の各地域ではその地域出身の英霊を大切に奉る招魂社・護國神社がありますが、県全体の英霊を奉る護國神社は存在していないようなのです。
実は、かつて神奈川県が主体となった護國神社創建の動きはありました。
昭和14年(1939年)には神奈川県議会が護國神社の創建を決議し、誘致合戦の末、鎮座地が横浜市三ツ沢に決まり、昭和19年(1944年)には工事が着工しました。
しかし、社殿完成間近の昭和20年(1945年)5月29日、横浜大空襲によって、社殿は焼失してしまいます…。
戦後となった昭和22年(1947年)になると、神奈川県は護國神社の創建を断念し、土地を横浜市に売却します。
ここで、神奈川県主体の護國神社の創建は消えてしまったんですね。
本来であれば、社殿を建て直し、護國神社を創建してほしかった…。
ただ、資金面とか、戦後の神社をとりまく法律などによって困難だったんでしょうね。
戦後は神社は国や県の管理ではなく、独立した宗教法人となりましたから。
横浜市に売却された三ツ沢の土地には、現在は横浜市の戦没者慰霊塔があります。
また、神奈川県は、昭和28年(1953年)横浜市港南区に、戦没者慰霊堂を建立しています。
神奈川県の戦没者慰霊の式典は、主にこちらの2施設で行われているようです。
私はこの2施設とも訪れたことがあり、整備も行われていて、県民の戦没者・戦争犠牲者を敬う気持ちは間違いなくあります。
ただ、この2施設の主な趣旨は名称の通り慰霊であって、他県の護國神社のように英霊に感謝する・讃えるという趣旨ではないようです。
それから50年以上たった平成24年(2012年)、畑本氏の呼びかけにより神奈川縣護國神社を再創建する會(現 神奈川縣護國神社氏子會)による再創建活動が始まりました。
ただ、この創建活動を進めるにあたり様々な困難が立ちはだかって…、
日本全国、どこでも当たり前に英霊をお祀りしている護国神社が、私たちの神奈川県にだけはない。
それは、かつて英霊たちが尊い命と引き換えに守り継いで下さった神奈川県に生きる者として、誠に忍びない現実です。
では、建てればいいじゃないか。
しかし、神社を建てると言っても、どうやって?
そこから、手探りの創建運動が始まりました。
英霊=神様に関する事なので、まずは神社庁をはじめ各地の神社や政治家、有力者などに相談して回ったものの、色よいお返事は一度として頂けませんでした。
靖国神社はじめ、既存の護国神社ですら「英霊をお祀りする=戦争美化」として反対の声が強い中で、新たに「厄介ごとのタネ」を植えるような事は避けたいのが人情。
他人様にこれ以上のご無理は言えないため、どうしても建てたければ、自分たちで建てるより他にありません。
すると今度は、私たちの「資格」を問う声が出て来ました。
「神職でもない民間人のくせに、英霊をお祀りするなどおこがましい。然るべき方にお願いすべきだ(要約)」
なるほど、もっともらしく聞こえますが、本来、英霊に対して「感謝と顕彰の誠を奉げる」行為は今を生きる神奈川県民すべての義務です。
神奈川縣護國神社氏子會HPより引用
うーん、ド逆境だぞこれは…
こういった逆境にも立ち向かい、強い決意で活動を続けていったんですね。
主な活動は、寄付を募りながらの、かつての神奈川縣護國神社の鎮座予定地であった横浜市戦没者慰霊塔の清掃奉仕でした。
そして8年間も地道な活動を続け、資金がある程度用意できた令和2年(2020年)1月、現代表の角田氏が鎌倉市内に土地を購入、コロナ禍よる活動ストップもありながらも数か月かけて境内整備を進め、そして同年12月5日についに神奈川縣護國神社が完成することとなりました!
で、実は私も夏頃から月1の整備活動に参加し、神奈川県の英霊のために微力ながらお手伝いさせていただきました!
神社参拝ではなく、神社を創るなんて、滅多にできる経験ではないので参加できて非常に嬉しく思っています。
御祭神
神奈川縣護國神社の御祭神は、幕末から今日にいたるまでの、祖国を護るために尊い命を奉げられた神奈川県・相模国のすべての英霊、神奈川縣英靈(かながわすべてのほつみたま)です。
また、神奈川縣護國神社の御神紋はこちらの抱櫻(いだきざくら)です。
神奈川縣護國神社氏子會HPより引用
こちらは、平成24年(2012年)12月に、有志の公募により決定しました。
抱櫻としたのは、英霊(桜の花)を包み込む愛情(桜の葉)のイメージからだそうです。
参拝記録
アクセス
最寄り駅は、湘南モノレールの富士見町駅です。
JR線と接続している大船駅から1駅先の駅なので、交通アクセスは悪くないと思います!
出入口は道路を挟んで両側にありますが、湘南江の島方面乗り場から出てスタートしました。
富士見町駅からは住宅街を抜けていくのでちょっと複雑です。
湘南江の島方面乗り場の裏手側にまわって、駐輪場の横を進みます。
駐輪場の先のY字路を右に進みます。
100mほど進むと台ぶどう公園という小さな公園とローソンが見えてきます。
ローソン横の道路を進みます。
交差点まで進んだら、右手にある坂を上ってください。
10mほど上った、坂の途中のこの石階段を上ります。
石階段を上がると右手側に、鎮座地が見えます!
写真は秋頃の写真なので、まだお社は無く、草刈り後が残っていますが…。
なお、現在はまだ開通していないのですが、草刈りと整地が完了したらもっと足場の良いルートが出来上がる予定です。
こうご期待!
境内
こちらが境内の全体写真です!
鉄管の玉垣と塩ビ管の鳥居、小さなお社と、だいぶ武骨な造りですよね。
他県の護國神社と比べると面積も小さく造りも拙いもので、人が見たら鼻で笑っちゃうか、怒ってしまうかもしれません…。
私も初めて参加する前は、もっと広い敷地に、立派な社殿を建立する計画と思っていましたから。
でも、本来は県が行うはずだった活動を、寄付を募りながら数人の有志の力で行うのでは現状が精いっぱいです。
しかし!今後も整備奉仕活動を続けていく過程で、少しずつ少しずつ、バージョンアップする可能性もあります。
ちなみに夜はソーラー式ライトでライトアップされて綺麗ですよ。
地域の防犯にも貢献できるかもしれません。
建立レポ
ここで、せっかくなので境内整備の記録も紹介していきます。
こちらが、真夏にまず草刈りから始めた様子です。
神奈川縣護國神社氏子會HPより引用
写真残してなかったのでHPより写真を拝借しましたが、夏場は完全に雑草が伸び放題でした。
コロナ禍で数か月活動がストップしていたので、その間に雑草が伸びてしまったようですね。
なんとか境内予定地の草を刈り終え、防草シートを敷きました。
この状況、ご近所さんが見たら何事かと思っていたでしょうねぇ~…。
玉垣として鉄管とブロックも用い、境内を形作りました。
数か月かけて、草刈りと並行しつつ玉垣の鉄管を補強していきました。
雨ざらしではいけないので、波板で屋根を作りました。
鳥居は塩ビパイプの組み合わせです。
お社
こちらが神奈川縣護國神社のお社です!
石製の台座の上に、木造で約40cmのお社が設置されています。
そして、お社設置の瞬間です!
ここからさらに、内部に霊璽(れいじ=御霊を移す依り代)を納めました。
御由緒書
御由緒書についても紹介していきます。
御由緒書に記された文章はこのようになっています。
「幕末より現代に至るまで、祖国や故郷を護るために尊い生命を捧げられた神奈川県(旧相模国含む)出身の英霊を祀り、感謝と顕彰の誠を奉げるべく、県民有志によって創建されました。」
「神奈川県は全国で唯一護国神社のない県という汚名に甘んじて来ましたが、本社の創建を先駆けとして、先人たちの愛と勇気、我が国の平和と独立を次世代に受け継いで参ります。」
という文章です。
この文章の中でも、本社の創建を先駆けとして、という部分が好きですね。
この創建活動が今後どのように進んでいくか誰にもわかりません。
極端な話、「俺のほうが資金もあるし土地もあるから、もっと立派な神社建てられるぜ」という方が現れて、別の場所に護國神社を建立してくれるかもしれません。
そうしたらもちろん、そちらにも参拝させていただきます。
創建のために寄付をしてくださった方や、いま活動に参加している有志だけではなく、この活動がきっかけとなって、英霊に感謝する気持ちが県民にもっと広まっていくといいなと思います。
青空をバックにすると映えますね!
なお、こちらの御由緒書は業者さんに発注を依頼したものです(他の資材はほぼホームセンターで調達)。
御朱印
神奈川國護國神社の御朱印はこちらです。
神奈川國護國神社氏子會へメール連絡していただくか、清掃奉仕活動に参加していただくことができます。
初穂料は500円です。
所在地等
所在地 神奈川県鎌倉市台4-1199-19
アクセス他
- 湘南モノレール「富士見町駅」から徒歩10分
- 駐車場無し(近隣にコインパーキング有)