大宮氷川神社とほぼ隣接して鎮座している、埼玉縣護國神社(さいたまけんごこくじんじゃ)を参拝しました。埼玉縣護國神社では、国のために殉じた埼玉県出身の英霊を祀っています。
御祭神
埼玉縣護國神社の御祭神は、鳥羽伏見の役以後の国事に殉ぜられた、埼玉県の英霊です。
これまで私のブログでも紹介してきた神社の御祭神、例えばお稲荷さんや須佐之男命、天照大御神とはだいぶ印象が異なりますよね?
護國神社というのは、神話の神々や歴史上の人物を祀るのではなく、その地域で国家のために亡くなった人(英霊)を祀る神社です。
埼玉縣護國神社は、現在は51,180柱の英霊を祀っています。
御由緒
国のために殉じた埼玉県の英霊は、かつてはそれぞれの関わりの深い地に祀られて、随時随所で神社以外の場所で神事が行われていました。
しかし、日露戦争や満州事変によって英霊の柱数も2600柱あまりを数えるようになり、慰霊顕彰の重要性が話し合われ、ついに昭和8年(1933年)、埼玉県の英霊を祀るための埼玉県招魂社の建設計画が決まりました。
その年9月には建設出願が決まり、内務大臣の許可を得たので、県民の総意にもとづいて大宮公園の西に鎮座地が選定されました。
翌年の昭和9年(1934年)4月には、当時の近衛師団長の朝香宮殿下をはじめ陸海将兵、埼玉県の官民数万人が参列した、盛大な鎮座祭が行われました。
昭和14年(1939年)3月になると、神社制度の改正により、埼玉県招魂社の社名を埼玉縣護國神社と改称、4月には指定護國神社となり、埼玉県の官民を挙げての盛大なお祭りが年々とり行われました。
昭和21年2月には神社神道を国の管理ではなく民間宗教とする神社制度の変革によって、宗教法人埼玉縣護國神社と社名を改め、さらに昭和23年には埼霊神社と改称しましたが、昭和27年、埼玉県の崇敬者の総意によって再び埼玉縣護國神社に戻ることとなりました。
崇敬者の皆さんにとっては、「国を護った」英霊を祀るという言葉が重要だったんですね。
参拝記録
アクセス
埼玉縣護國神社の最寄り駅は、東部アーバンパークライン(東武野田線)の北大宮駅ですが、私は先に参拝した大宮氷川神社の西駐車場側から向かいました。
氷川神社の西駐車場からでてすぐ、大宮公園の入り口があるのでそこから園内に入ります。
園内に入らず道なりに進んでいっても到着できるんですが、園内からのルートだと社号標のある第一の鳥居をくぐって参拝できるのでおススメです。
案内板には特に記載は有りませんでしたが、園内の赤〇で囲んだところに第一の鳥居がありますのでご参考にどうぞ。
鳥居
こちらが埼玉縣護國神社の第一の鳥居と社号標です。
石造りの白っぽい色合いが、森の緑色の中で映えますね。
社号標の社名表記は旧字体ですね。(縣⇒県、國⇒国)
私の記事内では、社名は旧字体で統一しています。
鳥居をくぐり森の中の歩道を進むと、すぐ正面に第二の鳥居と拝殿が見えてきます。
埼玉縣護國神社は道路に面した位置に鎮座しています。
そうですね、大事なことだと思います。
手水鉢がレアなタイプでしたね。
岩が鉢になっているのもそうですが、屋根、扉付きは珍しい!
扉を開くと中に柄杓があります。
手水舎の後ろ側には傷痍軍人(戦傷を負った軍人)の碑がありました。
第二の鳥居は、金属製のものですね。
拝殿
第二の鳥居をくぐった正面には埼玉縣護國神社の拝殿があります。
先に参拝した大宮氷川神社もそうですが、神社を参拝するときはわりと明るく楽しい気持ちなんですが、護國神社では、そのテンションは場違いですね…。
戦没者・英霊の皆様ため、慰霊と感謝の気持ちをこめて参拝させていただきました。
像・碑
続いて、境内の石碑や像を紹介していきます。
こちらは、埼玉県特攻勇士之像です。
埼玉県出身の大勢の若者も特攻隊員となって命を落としました。
そういった英霊のことを後世に伝えるため、特攻隊戦没者慰霊顕彰会の協力のもと、戦没者遺族、戦友、崇敬団体の御浄財(寄付)により平成25年に建立された像・石碑です。
特攻勇士之像の隣には、特攻花の花壇がありました。
特攻花とは、大金鶏菊(おおきんけいぎく)のことと言われています。
参考として大金鶏菊はこういった見た目の植物です(写真ACよりダウンロード)
平成12年に知覧から移植となっていますが、知覧とは鹿児島県の南九州市の地名です。
知覧には、特攻隊の出撃基地があり、そこには大金鶏菊がたくさん咲いていたそうです。
いまは時期ではないので、違う草が生え放題になっているようですが…。
こちらは、大東亜戦争の戦没地域図です。
なお、大東亜戦争というのは、歴史の教科書の多くでは太平洋戦争と表記されている戦争のことです。
出征兵士之像、兄の出征を見送る妹でしょうか。
戦争中は、このような情景がたくさんあったんでしょうね…。
英霊の鎮魂のために奉納された砲弾です。
海軍大将の東郷平八郎の艦隊が用いた砲弾を各地の一宮に奉納したとする説があり、こちらがその時に大宮氷川神社に奉納されたものである可能性が高いようです。
この砲弾を使用した艦名は不明とのこと。
さくら陶板と呼ばれる碑ですが、こちらは設置されて間もないものですね。
令和2年8月15日と刻まれていますが、私が参拝したのは翌月の9月5日です。
こちらは東京の靖国神社の事業と関連があります。
靖国神社では、創立150年事業の一環として、各県の陶工の方が各県の土を使ってさくらの花をモチーフにした陶板を作成し、靖国神社の外苑にある慰霊の庭に令和元年6月に設置されました。
その1片を靖国神社から奉納していただき、こちらに設置しているものです。
作成は、埼玉県の寄居に窯を持つ、人間国宝の原清さんです。
境内には社務所と同じ建物で遺品展示館もあります。
しかし、今回はコロナの影響でしょうか?休館となっていました。
御朱印
こちらが埼玉縣護國神社の御朱印です。
桜の印が象徴的ですね。
所在地等
所在地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149
アクセス他
- 東部アーバンパークライン北大宮駅から徒歩10分
- 東武アーバンパークライン大宮公園駅から徒歩15分
- JR線大宮駅から徒歩20分
- 駐車場あり(数台分、大宮公園や氷川神社の駐車場も近くに有)
埼玉縣護國神社の紹介記事でした。
境内の像や石碑から、英霊を敬う気持ちが強く感じとれました。
横浜の慰霊塔の記事の時も書きましたが、戦争は絶対に繰り返してはいけないことですが、かつて日本のために戦った英霊に感謝することは大事なことなんじゃないかな?と思っています。