今回紹介するのは、日本橋に鎮座する寳田惠比壽神社(たからだえびすじんじゃ)です。当神社は普段は無人のようですが、毎年10月20日頃にべったら市が行われ、たくさんの人で賑わいます。また、恵比寿神を祀っていることから、日本橋七福神めぐりと一緒に参拝される方も多くいます。
寳田惠比壽神社の御由緒
境内に御由緒書があったので、内容をまとめてみました。
寳田惠比壽神社はもともと、慶長11年(1606年)江戸城外にあった宝田村の鎮守様(寳田稲荷神社)でした。
徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の3つの村の転居を命じたため、村民とともに宝田村の鎮守様もこの地に移ってきました。
この遷宮と村の移転を指揮したのが馬込勘解由(まごめかげゆ)でした。
馬込勘解由は徳川家康公の古くからの家臣で、この複数の村の転居という大業を成し遂げた功績により、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様の像を授かりました。
この恵比寿様の像を平穏守護の御神体として当神社に祀り、現在に至ります。
転居後の村民は、金銀為替、駅伝(駅を設け、宿泊設備や交通を備える制度)、水陸運輸にそれぞれ重要な役を担いました。
馬込勘解由は名主となり三伝馬取締役に出世し、御役名にちなんで、大伝馬町の町名を賜って、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商売発祥の地として大変賑いました。
現在も周辺の老舗大小商社が軒を並べて今なお盛んな取引が続いています。
日本橋周辺にはいろんな企業の本社がありますもんね。こういった理由だったんですね。
寳田惠比壽神社の御祭神・ご利益
御祭神
境内の案内板にはこちらの6柱の神が挙げられています。
- 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
- 事代主神(ことしろぬしのみこと)
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)
- 大國主神(おおくにぬしのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
さらに、徳川家から授かった恵比寿様ですね。
ご利益
境内の御由緒書には商売繁盛、家族繁栄の守護神として、敬われているとされています。
寳田惠比壽神社の参拝写真
寳田惠比壽神社の参拝スタートです。
寳田惠比壽神社は、道路に面して鎮座していて、車通りはそれほど多くないものの、参拝する際には注意してくださいね。
なお、寳田惠比壽神社は普段は無人のようです。
寳田惠比壽神社の鳥居です。鳥居というよりも、むしろ全てが写ってますね。
手水舎です。押しボタン式で水が流れるタイプでした。
ボタンを押すとかなりの勢いで水がでてきて、ちょっと驚きましたw
拝殿の左側にある、御由緒書きと寳田稲荷神社のご案内板です。
拝殿右側には御祭神のご案内板があr…べったら市の看板の置き方がw
拝殿正面です。
お正月の期間に七福神めぐりの際に参拝したときは、扉が開いていて、中で御朱印の受付等をしていました。
寳田惠比壽神社とべったら市
寳田惠比壽神社についてまとめていたら、べったら市についても興味がわいてきました。
そもそも、べったら(漬け)とは何かと言うと、麹や砂糖等の甘味料で味付けしている大根の漬物のことで、表面がべとべとしているため、この名がついたといわれています。
べったら市は、毎年10月19日と20日に寳田惠比壽神社の目の前の通りで行われるえびす講(商売繁盛、五穀豊穣を祈願するお祭り)のことです。
べったら市では、約500軒の露店が連なり、多くの人で賑わうそうです。
寳田惠比壽神社の近く、昭和通り沿いには馬込勘解由の碑(べったら市の由来)がありました。
こちらの石碑は、馬込勘解由の功績を讃えるために建立されたもので、べったら市の由来についても彫られていました。
この石碑によると、べったら市の名は、えびす講の際、鯛や神棚等とともに江戸名物の浅漬大根が売られ、売り子が大根に付いた糀を若い女性の着物に「ほら。べったら、べったら、買わないで通ると着物にくっ付くよ。」と戯れたことが由来となっているそうです。あれ、これは現代だとけっこう怒られるやつだ。賑やかな情景が目に浮かびますね。
寳田惠比壽神社の御朱印
御朱印は、元日~1月7日の期間と、10月のべったら市の期間のみお受けすることができます。改めてお伝えすると、普段は無人ですのでご注意ください。
なお、寳田惠比壽神社は、日本橋七福神めぐりのコースには含まれてはいないものの、同日に参拝される方も多いそうです(私もそのうちの一人です)
寳田惠比壽神社の所在地・アクセス
所在地 東京都中央区日本橋本町3-10-11
アクセス
- 地下鉄日比谷線「小伝馬町駅」から徒歩3分