西叶神社の次は浦賀の渡船を利用して、対岸の東叶神社(ひがしかのうじんじゃ)へ参拝しました!東叶神社の社殿の裏手は、海上からの攻撃に対する防衛拠点ともなった明神山と呼ばれる山となっていて、頂上からの見晴らしが素晴らしかったです。また、勝海舟が断食修行を行った場所も頂上にあります。
御由緒
東叶神社の御由緒は、ひとつ前に参拝した西叶神社と同じものです。
源氏再興を願った文覚上人が、その成就が目前となり、養和元年(1181年)に京都の石清水八幡宮の神(誉田別尊)を迎えたことが始まりです。
東叶神社の境内にあった由緒書には、西叶神社から別れて祀られるようになったという記述はなかったのですが、政策により浦賀村が東西に別れたときに合わせて、2つになったという説が一般的のようですね。
東叶神社の境内裏山についてちょっとお話を。
こちらの裏山は明神山と呼ばれていて、標高は約50m、頂上には東叶神社の奥宮があります。
明神山は海に面した場所にある山なので、海上からの攻撃に対する防衛拠点ともなりました。
後北条氏が大名としてこの地域を治めていた頃(おおよそ1500年代)、何度も房総半島の里見水軍が三浦半島に攻撃をかけてきたので、防衛のために明神山に水軍を配置したという記録があります。
また、明神山一帯は、叶神社の社叢林(しゃそうりん)として県の指定天然記念物になっています。
明神山はよく保全されている自然林で、木々の種類も豊富です。
さらに、姥目樫(うばめがし)という広葉樹が自生していて、神奈川県では明神山と城ヶ島だけでここが分布の北限と考えられ、学術的にも貴重なんだそうですよ。
御祭神
東叶神社の御祭神は対岸の西叶神社と同じく、誉田別尊(ほんだわけのみこと)です。
誉田別尊は応神天皇の生前のお名前で、普段は八幡様と呼ばれることが多いです。
参拝記録
アクセス
西叶神社近くの渡船場から船に乗り、東叶神社側の渡船場に到着!
船ひさしぶりに乗ったなぁ。沼津の淡島神社以来かも。
電車やバスはよく利用しますが、船はかなりレアなので非日常感があって嬉しいですね。
約3分ほどでしたが、遠くにみえる房総半島の山々など、良い景色を楽しむことができました。
西叶神社側から来る場合には渡船一択ですが、東叶神社を先に参拝する場合には、浦賀駅から京急バスに乗り、「新町」が最寄りの停留所です。
渡船場から住宅街方面にでるとすぐに叶神社への道案内標識がでてくるので、このまま真っ直ぐで到着です。
方向音痴なんでね、こういう標識があるとホント安心する…w
ちなみにちょっと寄り道で、先程の案内板のところを左折すると、三浦稲荷社と東林寺という寺社がありました。
私達もフラッと立ち寄って参拝しましたが、偶然見つけた寺社に参拝ってなんか楽しいですよね。
鳥居
東叶神社の鳥居前に到着しました!
鳥居の正面に社殿、さらにその背後にあるのが明神山ですね。
鳥居の手前には御由緒書もありました。よく読んでおきましょう。
鳥居の前には浦賀湾が広がっています。
写真にも写ってますが岸壁スレスレでおじいさんが昼寝してました。うーん、のどかw
ところで、浦賀湾って名称を今後もちょくちょく使っていきますが、正式名称なのか定かではないです…。
叶神社の手前の海周辺というニュアンスでご理解くださいw
鳥居の左側には、御神木と思われる太い木があり、絵馬掛けが周囲にぐるっと張られていました。
鳥居右側には手水舎がありました。
吐水口はドラゴンで、感知式で水がでてくるタイプでした。
社殿
手水舎でのお清めの後は、ついに正面の階段を登って社殿へ!
階段の途中にはソテツの木が植えられていますが、こちらはなんと、源頼朝公が、源氏再興の折に伊豆から移植・奉納したものなのだそうです!
そういえば西叶神社にもソテツの木がありましたが、それも頼朝公が奉納したものなんでしょうか?
東叶神社の狛犬はこちらですね。
対岸の西叶神社の狛犬は口を開いた状態「阿」で1対でしたが、こちらは左右とも口を閉じた「吽」の状態に見えます。
東叶神社の社殿に近づいてみました。
木造の社殿で、彫刻は西に比べるとシンプルな感じです。
社殿から振り返って鳥居を見た景色がこちら!
住宅や駐車場等が無い分、西と比べると浦賀湾と対岸への見晴らしが素晴らしいですね。
明神山へ登る
社殿の裏手、明神山には、社殿の左側の階段から登ることができます。
階段の途中、ティーサロンアカンサスというカフェがありました。
入店はしなかったんですが、全面ガラス貼りの造りで中は暖かそうですね。
社殿より少し高い場所なので、眺めも良さそう。
どんどん登ります!
平地に出ましたが、頂上まではまだ登らないといけません…。
ここでようやくラストスパート!でもわりと急な階段になっているので気をつけてくださいね。
頂上に到着!
頂上にはいくつか注目スポットがあったので見てまわります、息を整えてから…。
東叶神社奥宮
階段をあがって正面に見えるのは、東叶神社の奥宮です。
木製の扉があり、中が見えづらくなっています。
扉の上から内部をのぞいてみました。
木造の落ち着いた雰囲気の社殿でした。
勝海舟断食の碑
頂上には勝海舟断食の碑というスポットがあります。
勝海舟といえば、坂本龍馬を教育したり、江戸無血開城を実現したりと、幕末頃の歴史上知らない人はいないレベルの人物ですが、ここは、その勝海舟が日本初の太平洋横断を成し遂げた艦の艦長格だったとき、航海前に断食修行をしていたとされる場所だそうです。
断食をしていた日数は定かではないんですが、1日だって大変ですよね、私には無理です。
いまもブログ書きながらお菓子食べてるぐらいですし。
ナボナって知ってます?東京の自由が丘に本社がある亀屋万年堂さんから発売されている洋菓子なんですが、おいしいんですよ♫
かつては王貞治さんがCMをされていて「ナボナはお菓子のホームラン王」というフレーズで有名でした。もっとも、私はまだ生まれてない頃の話ですけどねw
お土産でもらったら嬉しいですね~、ナボナ。
話が脱線しましたが、引き続きスポット紹介を…。
断食の碑からみて左側には神明社が鎮座しています。
右側には東照宮が鎮座していました。
招魂塔
断食の碑から反対側、頂上の海側には招魂塔という慰霊碑があります。
こちらは、現在の住友重機械工業㈱の前身だった浦賀船渠(うらがせんきょ、通称、浦賀ドック)によって大正9年に明神山の山頂に建立されたものです。
戦争や不慮の事故等で亡くなられた会社関係の方、308柱の御霊を祀っているそうです。
こちらにも手を合わせてお祈りしました。
招魂塔は浦賀湾が臨める、とても見晴らしの良い場所に建立されています。
浦賀周辺の景色はもちろん、東京湾のさらに向こう、房総半島まで見えますね。
社務所周辺
明神山から降りて、次は社務所周辺へ!
社務所は鳥居からみて右側にあります。
ネコが社務所近くで寝ていました。かわいいですねぇ…!
参拝客が何人もいたのに全く動じないw
こちらは耀真山永勝不動尊というご不動様です。
明治維新より前は神仏習合といって、神道も仏教も一緒に信仰されていることがよくありました。
現在は、明治政府が神道を国教化しようとし、神社から仏教要素を排除する政策(神仏分離)によって神社とお寺は一般的には別々の存在となっていますが…。
でも、時々は神社の一部にご不動様が祀られていたりと、神仏習合の名残がみられることもあります。
かつて叶神社は、耀真山永神寺という寺院を兼ねていて、こちらのご不動様はその永神寺のご本尊だったと伝えられています。
永神寺は、横浜金沢から三浦半島全域にかけて強い影響力をもっていたそうですよ。
ご不動様の隣には岩窟があり、内部には弁天様が祀られています。
こちらは身代り弁天と呼ばれ、古来より、海上の遭難や事故などの不慮の事態から身代わりとなって守ってくれたというエピソードが多くあるそうです。
身代り弁天の横には鉢があり、こちらから出ている水は、さらに奥にある井戸から汲み上げているものです。
こちらの井戸水で硬貨を洗って身につけていると、開運金運アップのご利益が得られると云われています。
奥に進むと井戸が見えてきます。こちらが汲み上げ元の井戸ですね。
なんとこちら、勝海舟が断食修行を行った際に使用した井戸だそうです。
断食とはいえ、水は飲まないとさすがにヤバいですからね。
御朱印
こちらが東叶神社の御朱印です。
西とほぼ同じデザインですが、横須賀東浦賀の印で判別できますね。
こちらでも夏詣のはさみ紙をいただきました。
西と東をつなげるとこうなります!
左右で揃うと気持ちいいですねぇ。
西では勾玉をいただきましたが、東では勾玉を入れる袋が用意されています。
色はピンク、青、緑の3色で、500円でいただきました。
袋の色と勾玉の色を合わせる必要はないと思うので、好きな色を選びましょう!
むしろ、袋にいれると勾玉の色がわからなくなっちゃうのがネックですよね…w
所在地等
所在地 神奈川県横須賀市東浦賀2-21-25
アクセス情報等
- 京急線「浦賀駅」から京浜急行バス(かもめ団地行、観音崎行等)「新町」下車して徒歩5分
- 駐車場有り
- 電話番号 046-841-5300